2020年5月29日金曜日

美味しいスープは2極化する?

最近、ラーメン屋さんに行って感じることがあるんです。とても美味しいのに、人によっては物足りないと言う人もいるんだなということに。これ、欧風カレーしか知らない人が、南インドのサラっとしたカレーを食べて物足りない、つまり、期待していたコクや旨味がないと感じるのと同じ話なんですね。

うちは鶏からブロードを取る時も、煮干しで出汁を取る時も、基本的に匂い消しのネギの青い部分とかその他色々、そういう余計なものは一切入れません。理由は素材の風味を最大限に活かしたいから。ネギとかニンニクとか、邪魔なんですよね。このスープの取り方、実は二極化するんですね。

ラーメンで言うと分かりやすいんです。鶏と魚介といった複数の材料を合わせてダブルスープをつくったり、カエシに色んな旨味を詰め込むのは、複雑で奥行きのある旨味を出すため。これがひとつの方向で、中華の佛跳牆とかはその最たるものです。味わいもダイレクトに分かりやすく、旨味好きな人に好まれる中毒性のある方向です。

で、もうひとつがラーメン業界で少し前から最盛期を迎えている水鶏系のように、ひとつの素材と水だけで出汁を取るといった方向。和食でいうとお吸い物が分かりやすいですね。素材感をとても大事にするため、カエシも塩だけ、または醤油だけで構成される場合も多く、旨味の複雑さは前者程はありません。ただし、風味は鮮烈です。この風味ってデリケートなものも多く、鯛出汁に鰹出汁を合わせると、旨味の複雑さは増すけど、鯛の風味は一気に消え、台無しになりますもんね。大昔から本当に美味しい出汁なら、味付けは塩だけで十分というのは、ラーメンに限らず昔から言われてきたことです。こちらは素材の風味を集中して堪能する味なので、現代社会のインスタントで旨味過多な食生活に慣れた人には物足りないと感じる場合もあるかも知れません。中毒性はないけど、年齢とともに毎日食べたくなると感じる味ですね。

ラーメンの場合は、旨味寄りの店も素材寄りの店も、どちらがいいというのはありませんし、好みの問題なんですが、水鶏系のように素材寄りの店の方が増えてきている印象ですね。

もちろん、イタリアンでも地鶏と水と塩だけで、まるで神様が作ったかのようなブロードを提供する超有名店もありますし、某研究会ではポンテベッキオの山根シェフが沢山の素材とあらゆる技巧を駆使して、旨味が凝縮された宝石のようなスープをつくってはりました。余談ですがイタリアンってトラディショナルなものは引き算要素が多く、足しも引きもするジャンルなんですよね。

話はそれましたが、例え同じ鶏の塩ラーメンであっても、旨味寄りラーメンは欧風カレー、素材よりのラーメンは現地系カレーという感じで、違うジャンルだという認識になっていくんでしょうかね?

美味しいスープは2極化する?

最近、ラーメン屋さんに行って感じることがあるんです。とても美味しいのに、人によっては物足りないと言う人もいるんだなということに。これ、欧風カレーしか知らない人が、南インドのサラっとしたカレーを食べて物足りない、つまり、期待していたコクや旨味がないと感じるのと同じ話なんですね。 ...